人間は「わちゃわちゃ」に弱い説
どうも、(BALL)です。
また毎度の事ソーシャルゲームに関する個人的な話をしたいのですが。
今回ふと思いついたものとして、
人間は画面の「わちゃわちゃ感」に弱いのではなかろうか?
というお話をしたいと思います。
大した量を書く気ではありませんが、気になった方は是非続きを読んでいただけると幸いです。
さて、そもそも「わちゃわちゃ」とは何ぞや?と言う話なのですが。
最近のソーシャルゲーム、例えばアズールレーンを例にあげましょう。
それなりに遊んでいる方ならわかると思いますが、ある程度ステージを進め、大ボスに空母が現れた際って、敵も味方もばんばん色んなものが飛び交い、「なんかわけわからんけど凄い!!!」みたいな感じになったこと、ありませんでしょうか?
最近で言えばグラフィティスマッシュなんかもそう。リンクスキルが発動すると、画面がとんでもないことになりますよね。更にこれがランクマッチで対戦しているともなれば、本当に「よくわからないけどなんか大ダメージ与えている!」ってなります。
まあ要するにそういうたぐいのものです。
で、何故それが人間は弱い(ここにおける弱いは、好きとかそういう意味合いです)のかという話なのですが、はっきり言って大した根拠は何もありません。
どこまで行っても私個人の感覚でしかないので大衆がそうであるというわけでは無いと言うことと、なんかそれっぽい理由付けが出来なかったからです。
ただ何故私がわちゃわちゃしたものが好きなのかと言うと、それこそ単純な話で、なんかよくわからないけど凄いからです。
そもそもゲームとは日常的には味わえないような世界を電子的に処理することで楽しむコンテンツです。(ここではアナログゲームなどを除き、デジタルゲームに限定します。また、リアリティを追求したものなども除きます)
そういう一面を考えると、何か1つ大きな「非日常性」が楽しさを生み出すきっかけになると思います。
ドラクエやFFなどであれば、ファンタジーの世界観(剣と魔法の世界)や巨悪との対峙。
GTやFIFAなどであれば、一般人でありながらもプロのようなスポーツの体験。
BFやCoDなどであれば、まるで実際の戦争のような迫力のある銃撃戦。
どれも日常生活で味わうことはほぼ不可能な物ばかりです。(勿論すべてのゲームがそうではないが)
しかしスマートフォン向けのゲームと言うのは、スペックや操作方法など様々な観点より、そういった「非日常性」に重きを置いたゲームというものが難しくなっています。結果、「世界観だけ立派なポチポチゲー」が量産されている現状までやってきました。
で、その「世界観だけ立派なポチポチゲー」が争い始めると、ポチポチは徐々に多様に変化していくんですね。例えばパズルに、例えばストラテジーに、例えばリズムゲームに。
その発展の過程の1つとして、「過剰なエフェクト」があります。漫画でいうところのオノマトペのような、場の空気を盛り上げるもの。一種のUIにも通づるものがあると思います。
その「過剰なエフェクト」を過剰な数表示させるそれこそが、「わちゃわちゃ感」です。
ただ1体のキャラが攻撃しただけでわちゃわちゃしてはダメですが、例えば必殺技みたいなもので、何人ものキャラが何度も攻撃を繰り返せば必然的にわちゃわちゃします。どういう原理で、どういうダメージ計算で成り立っているのかわからず、意味不明だけどなんかとんでもないダメージが入ります。この「理にかなわないけど凄いことになっている」が、ソーシャルゲームが出せる「非日常性」なのではないかなと思います。
まあ定かではありませんが、それっぽいことを書いておけばそれっぽくなるってことです。私は計算だとか面倒なことは嫌いなので、わちゃわちゃして大ダメージとか大好きなのです。ただそれだけなのです。
というお話でした、以上。
ご感想などありましたら、コメントやTwitterにリプを下さると助かります。
また、本記事掲載後、Twitterにてわちゃわちゃ感が世間的にどう思われているかのアンケートも撮りたいと思っていますので、お暇な方はご参加ください。
それでは今回はこの辺で。
ではでは。